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最終知識ガイダンス
最終知識のガイダンス
この書は、健全な精神を持ちながら、スピリチュアルなエネルギーと接触するすべての人間のために用意された精神世界の究極的なガイドブックです。
人間のこころという精神活動の場は、実は古い原初の神の殻のなかに閉ざされた情報の閉鎖系にすぎません。そして、その殻の内側にいる限り、人間は神の子であり、神の物語の循環のなかに置かれます。聖書が、人の子をテーマにし、その日、その時という絶対的な審判の意志を伝えているのは、人知がこの神の殻を突破して、新しい精神世界のフィールドに到達する予告だったのです。 この古い神の殻を突破するための道筋を、著作者と同行者という二人の人間に現実の体験として経験させ、伝えるべき情報を確信を持って、記述させるために、十五年もの時間を費やした存在があります。
その存在こそ、実は最終知識の作者なのです。人間世界での著作者である私は、読み直すたびに、この書が私のものではないことを感じています。これは、光の言葉による、これからの人間のための道案内の書なのです。その意味では、この書は「最終」の知識を伝えるものではなく、新しい「はじまり」の知識を人間に与えるものだといえます。各章のガイダンス
□はじめに結語ありき・物語宇宙
ここには、この最終知識がなぜこの時代に記されねばならなかったかの理由と、この書のテーマが要約されています。神は、責任を取る存在であることがわかるはずです。
□第一章 日本のしくみ
著作者が目覚めさせられるまでの精神的な背景と、日本のなかにプログラムされていた、神のデータの秘密の開示がされています。
伊勢神宮から地球の緯度で一直線上に、淡路島のイザナギ神社まで並ぶ、神的配置はよく知られていますが、経度でも伊勢と白山が一直線で結ばれている理由も、よく読めば納得できるでしょう。□第二章 狂えるこのち
地球上に存在し、人間の歴史にかかわってきた神や神々の世界。神界といわれた、その領域で、正と邪の神々が続けてきた対立の方程式の解明がなされます。
人間が、神格を判断する審神(サニワ)は、実は神歌というべき言葉によってできることを教えるために、多くの神からの歌が記述されています。これはよくわからなくて当然の歌ですが、なんとなく、格式が伝わるはずです。興味のない間は、とばして読んでいただいてけっこうです。□第三章 終わりのはじまり
第二章であきらかになったように、正しいものも邪悪なものも含めた神界の存在と、現実の世界を動かしてきた地球の魔王という支配的な存在。この圧倒的な存在ですらも、最後の審判を待っていたという精神世界のシステムの崩壊の過程があきらかにされています。
イエスですら、神界はいらぬと伝えた理由がわかります。□第四章 魔の遺産
人間を魔界のものがどのように支配してきたかの、すべての秘密が開示されています。とくに、人間の身体のなかにある精神世界的な秘密と、魔力というものの本質がリンクしていることを知るでしょう。左道密教の教えやオウム的なものを解明したい方には、必見です。
□第五章 精神の免疫
精神世界の闇のエネルギーが、人間の精神活動と、身体の両方に作用するメカニズムを克服するために、人間の脳の正しい能力アップが必要なことを解明する章。健全な精神を持った人間は、闇に勝利できることがわかります。
とくに、闇のエネルギーが意識に作用するとうつ病になり、身体に作用すると、腰痛にはじまり、やがて、ガンなどの病気になるメカニズムを知れば、宗教的な奇跡のほとんどが理解できるでしょう。うつ的なものに悩まされている方は、この章と次の六章だけを読んでいただいてもけっこうです。□第六章 審判
人間のたましいを審判するためには、神界や魔界といった人間を支配してきたすべての存在の消去が前提だったという最終知識の背景がよく理解できる内容です。
さらに、精神世界の消去が進んでも、かたくなな人間のこころ、意識が残り、ひとりひとりの人間のたましい、つまり固いこころの殻の内側こそ問題なのだということがわかります。□第七章 御国の物語
人間の精神文化を育ててきた、神の世界へ近づくというモチベーションこそ、人間が神の子として、光と闇を分離できる存在であることの証明であることを伝える章です。
御国を求めて祈った人間こそ、地球の宝であり、それらのたましいに約束がはたされたことを、知るでしょう。
夢や理想、そして、祈りのない世界に未来はありません。□終章 知識の完成
精神世界というスピリチュアルなエネルギーの場に、人間がコンタクトできる時代。すでに、神や悪魔という存在を超えた意識ウィルスのようなものが地球を支配していることを知らせています。光の言葉を使う人間と闇の言葉を介して人間を支配するもの。今の世界を理解できる知識が要約されています。
「それは、人知によらず・・・」著者による最終知識の説明「それは、人知によらず・・・」著者による最終知識の説明
この書は、記述した本人ですら、読むたびに発見があるという不思議な知の案内書です。この書の周辺では、奇跡のようなことが起きる可能性も高くなると、私は伝えられています。これまでの経験では、それは現実となっているようです。
この書が、人知によらず、神知によって記されていることを、私なりに説明しておきます。「最終知識」の本文で、私は中山ミキのおふでさきとして、「たかあまのしんのはしらがカラビトや」という言葉を記しました。このおふでさきは、東洋文庫のおふでさき(等三号)の57行目では、「高山の真の柱は唐人や」となり、それぞれの漢字には「タカヤマのシンのハシラはトウジンや」というルビがふられています。また、これとは別に、徳間書店刊の「神々の黙示録」という金井南龍を中心とした対談の本の注における天理教の解説では「高山の真の柱が唐人や」と書かれ、ルビは「高山のシンのハシラがカラビトや」になっています。「最終知識」では、「タカヤマ」ではなく「たかあま」と記述してあります。これは、そのように記述するようにとの指示があったからです。東洋文庫のおふでさきは、中山ミキを継いだ天理教が公式に認める読み方です。つまり、中山ミキがこう読めと指示したものではないのです。また、「神々の黙示録」という本のなかには、出口王仁三郎の名前は、正しくはオニサブローと読むべきだという記述もあります。もともとの出口になる前の名を上田喜三郎といい、喜三郎という名前の喜のかわりに神が鬼という文字をあてはめたという伝承があるので、人知では、それが正しいことになるのでしょう。しかし、「最終知識」はワニサブローと記述しています。それは、そういう音と文字で通信されたからです。
人間的な、あるいは学問的な知識のある読者が、こうした面から、「最終知識」に疑念を呈することは自由です。それを承知で、私は書くように指示されたのです。同じことは、ナマコ型宇宙についてもいえます。NASAが発表した楕円形の宇宙図は、地図と同様、投影法によって、表現されたもので、科学的には宇宙の立体的な姿はまだ確定されているわけではありません。しかし、私は私が見せられたナマコ型宇宙について記述するよう求められたのです。「最終知識」とは私と私をつかさどる存在、そして、地球の神と神々との共著といってもよいものです。その記述の過程で、私が、人知の側から誤解を受けやすい表現を変える提案をしたことは、いく度もあるのです。変った場合もあるし、変らなかった記述もあります。変えるに及ばずの説明は、常に、それは、現時点での人知に過ぎないというものでした。いちばん象徴的なのが、中山ミキのおふでさきの「高山」なのです。あの時代、「たかあま」と記述したら、どうなったか。
本来は、「高天原」の「高天」という文字が正しいのだという解説には、人知の側に立つにしても、説得力があるではありませんか。「最終知識」とはこのようなプロセスを経て、成立しています。読むたびに発見があるということは、もうひとつの側面として、知の不足の自覚にはじまり、現時点での謎も深まっていくことになるのです。そのとき、神知の存在を、否定するのは簡単です。しかし、その否定もまた、知のプログラムの一部だったりするのです。
私の希望は、著者に回答を求めず、読み続けていただくことだと申し上げておきます。人生のなかに何らかの回答があり、思考することの先に神知と人知の接点があるのですから…。
2006年12月18日 積哲夫 記